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峠を越え、千曲川を渡った善光寺道に架かる橋

峠を越え、千曲川を渡った善光寺道に架かる橋

2017年10月11日

去る10月11日(水)、長野都市経営研究所(NUPRI)が主催する「第7回ここ掘れ!長野調査隊」が実施され、信州・橋の日推進協議会の理事を務める山浦直人氏が案内人となり、「峠を越え、千曲川を渡った善光寺道に架かる橋」をテーマに、長野周辺の橋をめぐりました。


参加者28名を乗せたバスは、定刻通りに集合場所のセントラルスクゥエアを出発。まずは長野市と須坂市を結ぶ「村山橋」をめざしました。
車中では、土橋や板橋など、橋という字が地名や名字になっているものは、そこに橋があったことに由来しており、板橋は文字通り板で作られた橋、土橋はコンクリートがない時代に土を敷いて舗装した橋を指し、橋を支える構造が、渡る面より上に設置されたものを下路橋(かろきょう)、渡る面の下に設置されたものを上路橋(じょうろきょう)と呼ぶなど、橋にまつわる様々なお話を聞かせていただきました。


「村山橋」は、長野市と須坂市の間を流れる千曲川に架かる橋で、道路(国道406号)と鉄道(長野電鉄)が併用する全国的にも珍しい橋です。
旧橋を設計したのは、明治時代にアメリカで設計を学び日本初の橋梁設計家として活躍した「増田淳」という方で、全国に先駆けて長野県の嘱託技師となり、最初に手掛けた橋が旧村山橋だったそうです。

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現在の橋は、平成21年に掛け替えられたもので、大正15年に架設された当時の橋の一部は、須坂側の橋のたもとに作られた村山橋道路休憩施設「村山橋メモリアルパ-ク」に残されています。

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このパークは、80年に渡って暮らしを支えてくれた歴史と近代土木遺産としての価値も高い「旧村山橋」を後世に残そうという計画の基に作られ、糸枠をモチーフにした親柱や橋梁の一部(トラス)が展示されているほか、レールを再利用した車止めなどもあり、鉄道ファンも楽しめる憩いの場所になっています。
普段は車で走り抜けてしまう村山橋に、このようなパークが存在していることを知らなかった参加者も多く、もっとアピールした方が良いのではないかという声も聞かれました。

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バスは順調に、次の目的地の高山村へ。途中、布目町に開通した「環状交差点(ラウンドアバウト)」を通過。ラウンドアバウトとは、環状の道を時計回りに進み、目的方向に抜ける交通方法で、信号機や電気を必要としないため、環境に優しく災害時に強いことから設置が増えているそうです。

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長野電鉄の創業者・神津藤平氏のエピソードや須坂市の観光名所についてお話を聞いているうちに「子安橋」に到着。
子安神社の参道に架かる橋は、全国を探してもほとんど見ることができない、下にたるんだトラス構造の珍しい橋で、建設当時は、高欄(手すり)に地元の名家・牧家の家紋が記されていたようです。
松川の支流である柞沢川(たらさわがわ)のせせらぎをBGMに、子安神社を参拝。ここは、信州に六つある子安神社の中で、もっとも気品と風格のある神社と言われており、本殿には龍や唐獅子など、見事な彫刻が施されていました。

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次は、深い渓谷に架かる真っ赤な橋が印象的な「高井橋」へ。ここは紅葉シーズンの観光名所としても知られていますが、橋の構造を真正面から見ることができる「もみじ橋」でバスを降り、高井橋の歴史や構造について説明を受けました。
大正時代の末に架けられた高井橋は、川から50m以上高い場所にあり、吊り橋だったそうです。戦後は橋が痛んでしまったため、バスが渡る際は先に人が渡り、後から空のバスが渡ったそうです。
高井橋のような形の橋は、渓谷に行くとよくみかけますが、路面とアーチ部分をトラス結合させた「鋼スパンドレルブレースドアーチ」という形式で、足場の吊りにくい深い渓谷に適した構造なのだそうです。

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さらに、橋の下を流れる松川は酸性河川のため、水利用はされていませんでしたが、従来の鉄管を強化プラスチックにすることで活用が可能となり、平成27年から砂防ダムの落差を利用した高井発電所の運転が開始されているという大変興味深いお話も聞くことができました。
あたりの山々は秋色に染まり始めており、一足早い紅葉狩りを楽しみながら、橋の知識を深めることができました。

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バスは長野市に戻り、松代インター近くのドライブインへ。「おぎのや長野店」と「信州そば蔵長野店」の間には小さな川が流れており、板状の石で作った「胴合橋(どあいばし)」が架けられています。
川中島合戦で討ち死にした武田勢の軍師・山本勘助の首と胴をこの場所で合わせたと言われていますが、注意深く見ないと見逃してしまうほど隅にあるため、訪れる人は少なそうです。

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橋めぐりの最後を締めくくるのは、若里と青木島を結ぶ「丹波島橋」です。
丹波島橋は善光寺参道の入口にあたり、文政3年に建てられた善光寺常夜燈が若里側の橋のたもとに今も鎮座しています。

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かつてここには「丹波島の渡し」が置かれ、対岸に渡した綱をたぐって舟で渡っていたそうです。明治に入ってからは46隻の舟を連ねた舟橋になり、明治23年に初代の木橋が架けられましたが、通行料がかかる有料橋だったそうです。昭和7年に架け替えられた際は、下路カンチレバートラストという形式の鋼橋となり、橋の上に設けられたトラスは二つの支点を持ち、西にそびえる北アルプスの山並みと相まって、美しい光景を作り出していたそうです。

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現在の橋は、昭和61年に架け替えられたもので、橋の下部に桁を設けた「桁橋」になったため、あまり特徴のない橋になってしまった気がします。

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またこの場所には、昭和7年に架け替えられた丹波島橋の一部「沓(シュー)」が置かれており、堅牢な作りの橋であったことが見て取れます。
「沓」とは、橋と橋脚の間に設置する部材で、橋の荷重を分散させたり、地震の揺れを吸収したりできるように作られていますが、熊本地震では、沓が壊れてしまった橋もあったそうです。

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今回は、長野市、須坂市、高山村の3市町村をまたぐツアーとなりましたが、橋の構造や技術の面はもちろん、橋の建設に尽力した先人達の努力を垣間見ることができました。

 

次回も、たくさんの皆様のご参加をお待ちしております。