第13回となる今回は「善光寺界隈の赤地蔵巡り」と題した2年ぶりのまちなか企画です。今回の案内人は長野郷土史研究会会長の小林一郎先生にお願いいたしました。お地蔵さまは、そこで暮らす人々の苦しみを救い、子どもの成長を願うなど民間信仰として身近な場所でひっそりと佇んできました。善光寺界隈には、一度見たら忘れられない真っ赤な姿をしたお地蔵さまが点在しています。今回はその赤地蔵に焦点を当ててNUPRIからは6名の参加者で小林先生のお話を伺いながら歩くにはちょうど良い人数でした。
集合場所にもなった西方寺の赤地蔵が起点になりました。西方寺は明治4(1871)年に最初の長野県庁舎として使われた建物と言われています。全国的にも珍しい赤地蔵は善光寺を守る魔除けとして四方に祀られたと言います。西方寺南には大きく広げられた国道406号線が通っていてかつての様子が感じられませんが、下堀小路(しもぼりこうじ)と呼ばれる小路が通っていたそうで、その少し北に上がると上堀小路(かんぼりこうじ)と呼ばれる小路が今も狭い通路として残っています。

次に向かったのは、善光寺下駅に近い新町地蔵庵の赤地蔵です。謡曲「柏崎」に登場する越後の国柏崎の領主 柏崎氏の子ども「花岩」の供養のためにつくられたといいます。地蔵庵は旧北国街道に面してはいるものの肝心の赤地蔵は地蔵庵の中に設置されているため、外部からは大変わかりづらい赤地蔵です。謡曲「柏崎」は「夫と死別し、我が子とも別れ物狂いとなるも子と再会する女の話」です。これを機会に謡曲「柏崎」を聴いてみたいと思いました。
地蔵庵から2〜3分歩いたところに地蔵坂と呼ばれる坂があります。その坂を城山に向かい少し上がっていくとそこにも「延命地蔵尊」と書かれた赤地蔵があります。その詳しい謂れは不明ですが、「その昔この地の周辺に散在していた無縁仏の石塔などを先住者達が、ここに集めて供養した際に安置されたもの」と伝えられているようです。

三輪田町高土手に向かうため善光寺下から田町方面に下っていくと、川の立体交差を見ることができます。下に流れるのが裾花川から取水して流れる鐘鋳川、上に流れるのは湯福川です。その湯福川の土堤として築かれたのが、これから向かう三輪田町高土手です。明治時代はえびす講花火の打ち上げ場所だったとのことです。この高土手赤地蔵は旭町の盲塚に安置されていましたが、その場所に「監獄」ができるとのことでこの地に移されたと言います。
最後に向かったのは、栽松院の赤地蔵です。栽松院は二本の東西に流れる川にはさまれた場所に建てられており、「しまんりょ小路」と言われる小路の入口にあたります。この辺りはその昔、中洲だったことから島に建てた小さなお堂を意味する「島の寮」が「しまんりょ」と呼ばれるようになったとか。

10月の程よい気候の中、約1時間半のコースをお散歩がてら巡りました。小林先生には赤地蔵だけでなく道すがらにある施設等の謂れなどを解説していただき、大変勉強になりました。
写真・文 「ここ掘れ!長野調査隊」隊長 竜野 泰一












